不幸ぢゃねーよ

あー、1日経って病状が楽になってきたわが、ちゃんと脳みそが寝てくれなくて、夜中に目がパッチリ覚めてしまったのでこの日記を書いてみます。

身体障害を持つ「乙武」クンという人がいますね(漢字忘れたケド、オトタケ君)。テレビとか結構出てた人。あの人が自分の本を出す時言ってました。
「障害は不便だけど、不幸ではないです」

当時、心身ともに健康な私は「ふ~ん」ぐらいにしか思ってなかったケド、今はその言葉が身にしみてわかりまする。「体験してみるまでわからない」って本当だねえ。

私も病気の症状が悪化すると大変でござる。薬とかは即効性があるわけではないのでベッドの上で何も出来ずにただ苦痛に耐えるだけです。「障害」という意味では「働く」ことができません。やりたかったことは障害になってから、ほとんど諦めざるを得ませんでした(まー、1年に一回ぐらい音楽の仕事を頼まれるケドね)。余談だけど10年前、ボストンのバークリー音楽院というところから入学許可をもらってました。私は世界中のトップ・ミュージシャンと肩を並べて音楽の勉強ができるっっ!とワクワクしてましたが、医者との話し合いの結果、行くことを断念しました。

話がずれましたが、「働く」ことを諦めるとそれに続いてイロイロなことを諦めざるを得ません。単純に言うと「欲しいモノ」とかね。後、結婚とかもそうかも(ま~、さして結婚願望は特に強くないですが)。

で、何が言いたいかというと「じゃーオレは不幸か?」と言うとそうではナイ、ということです。確かに症状が悪くなると布団にくるまって「う~ん最悪、、」などと思ってますが、症状が落ちついいてくると、のんきに散歩とかして過ごしてますわ。「病気は辛いケド、不幸ではない」ということです。

世の中で良く聞こえてくることですが「結婚できないと不幸」「働けない、お金を稼げないと不幸」と言うのは違う、と私は思うだす。
この道をたどって行ければ「幸せ」で、たどって行けなければ「不幸」と言えるほど、人の人生はそんな単純に出来ていないです。
ある道で「もう進めない」と感じたら(例えばもの凄い挫折とか)、その1本の道ばっかにこだわってないで、そこで周りを見渡せば、きっとたくさんの他の道が見えてくるんだろうな。

むか~しとある有名な画家いました。ゴーギャンだったかルノアールだったか名前は忘れちゃったけど
その画家は手に障害を持っていてうまくモノを持ったりすることが出来なかったそうです。で、ある時その画家が言ったそうな。

「私は幸せものだ。この不自由な手のおかげで働きもせず、ずっと好きな絵を自由に書いていられる」

あ~、私も同感だす。私も体調がいいときは好き勝手に散歩して、メシ食って、ギターとか弾いたりしてられるからね。あと、私の通う愉快な福祉施設の仲間も、私が病気にならなければ会えなかったからね。イロイロ普通に働いていたら見れないものがいっぱい見れたよ。究極を言うと「病気になってよかったな~」と思うこともしばしばありますよ

とまー、何でこんなコトを書いたかっていうと、別に「アンタ不幸ねー」って言われた訳じゃありませぬ。ただ、私の日々思うことを書きたかっただけなのでした。

あ、ちなみに酔っぱらって間違えて納豆を食べてしまったときは「オレって不幸だ~」と思ってしまいます。