「知らない」ということ

数日前のことだったか、ニュースで「冷蔵庫に死んだ妻の遺体を入れていた男が死体遺棄容疑で逮捕」というのがあった。この家はお金がなかったらしく、妻は病気で寝たきりであったがお金がないことを理由に病院へ行くことを拒んでそのまま衰弱死したらしい。更にその男も葬式をあげるお金がないために遺体の処理に困って冷蔵庫に入れておいたそうだ。
ニュースのコメンテーターいわく、お金がなければ病院に行くためのお金の補助も国から出るし、葬式の費用も国から補助が出るそうだ。
この夫婦の不幸(妻が死に、その遺体を冷蔵庫にいれなければならなかったこと)はお金がなかったことではない。「何も知らなかったこと」だと思う。

「知らない」というのはとても怖い。その人を不幸に陥れたり、時にその人の命すら奪ってしまう。ごくごく簡単に言うと、海外に行って知らない土地を旅行したことがある人なら「知らない」ことの不便さを体験したことがあると思う。

私事であるが私の病気に置き換えてみた。私が自分の病気(わからない方は過去の日記参照)になりたてのときは、自分の病気のことを良く知らなかった。ましてや精神病である、自分の脳の中の目に見えない病気である。自分に何が起きているのかさえ全くわからず、毎日布団の中で泣きながら、どうやって自分の命を絶とうか、そればっかり考えていた。
今はどうか。「死にたい」と思うと「これはうつ病の症状の一つであり、一晩寝ればかなり症状は軽くなる」ということは私は「知っている」のである。だから症状は辛いけど自暴自棄にもならないし、実際に自殺しようなどとは思わない。とりあえず寝る。これで済むのである。

私の周りの同じ病気の仲間は何人か自殺未遂をして、救急車で運ばれるなど、何回か危険な目にあっている。自殺念慮、つまり「自殺したいとはどういうことか」を「知らない」のだと思う。知らないとあっという間に自殺念慮に振り回され、餌食になり、自ら命を絶ってしまう。そんな人々がこの国には年間3万人近くいる。

これはうつ状態になった本人だけに言える話ではない。自殺したいとはどうゆうことかを「知らない」「わからない」ままに、自殺志願者、またはうつ病患者に向けて「精神力が弱いから」「世の中には生きたいのに死んでしまう人もいる」などと全く方向の違う言葉を投げかけて、より本人を自殺へと追いつめてしまう。重ねて述べるが「私にはわからない」「知らない」ことが他人を、または自分を不幸にすることがある。時に命を奪う。正確に言うと「わからない」ではなく「わかろうともしない」ということだろうか。

一番最初に述べた例でいうと、「知らなかった」ということが死体遺棄という「罪」になってしまった。他の例で言えば人種差別などは、相手を「知らない」ことから始まる人間の不幸の最たる者だと思う。

これを最後まで読んで頂いたステキな方々、私達は「何を知らないのか」を一緒に知りましょう。



って、ま~、重くて&説教クサくなってしまってゴメンちゃ~~い