思ヒ出日記 95年春

ココ一週間はまーまー体調もいいですねー。よかったよかった

で、本人も忘れかけていたのが「思ヒ出日記」です。結構前に書いたことなのですが、このブログでは日々起こることと平行して、私の過去の回顧録も書いて行きまする。ま~、個人的なココロの整理のために書くので、ヒマヒマな方はお付き合いくださいまし。今回は2回目で、12年前の春のことを書きます。

95年の春、私は成田空港にいました、アメリカのテネシー大学へ音楽留学する出発の日でした。そ~いえば前日、家族の皆さんと些細なことで喧嘩して、私は怒って日本での最後の夕食を外で友達と食べた、という苦い思い出もありまする。

で、出発当日、荷造りがヘタだったのでやたら手荷物が重かった思い出が、、
空港に着いてから飛行機が飛び立つまではアッという間だったのを覚えています。もっとじっくり日本との別れを惜しみたかったわ。
私が覚えてる限り、仲の良い友人達が10人ほどお見送りにきてくれてたと思う。恥ずかしいのでホントは書きたくないのだが、別れ際、不覚にも結構泣いてしまったのを覚えているよ。人前で泣くのいやだ~でも、あの別れ際の風景は一生覚えているだろ~な~(遠い目)

飛行機をダラスで乗り換えメンフィスに到着、更にバスに揺られること4時間弱、やっとテネシー州の隅っこにある小さな村、ウィクリー群マーティン村に着いた時はもう真夜中。大学寮の自分の部屋に案内され、翌日の入学オリエンテーションをひかえ、その日はもう寝ようと思ったんどすが、留学第一日目ということもあって、気合いを入れるためにギターの練習をしてから寝ようと思ってギターケースに手を伸ばしたんですよ。そしたらケースの中から一枚の紙切れが出てきました。紙切れに「今度会う時はお互いプロだぜ!!」と書いてありました。私が成田空港で搭乗手続きをしている間、「ヤツ(←ダチの一人)」がこっそり私のギターケースに入れといたのだったのよ。いや、も~、2回も泣きませんよ、私は。ただその日は夜中じゅうめちゃめちゃギターを弾いたのを覚えてまっする。メッセージを書いたヤツも現在は立派な声優さんですよ。

と、ここまで書くと、話が出来過ぎてて恥ずかしくなってきたぞ。ただ、ま~、あの日あの時成田まで来てくれた皆にはココロからありがとー!と言いたいのでした。

と、思ヒ出日記第2回はこんな感じですだ。第3回以降はアメリカ南部の現実を書くことになるので、ずんずんクラくなっていきます。晶さんがコワれていく様を見たい方は、お付き合い下さいまし、、、って次はいつ書くんだ、、、