思ヒ出日記 96'~97'

今日もピアノの練習しようと思ったんですが、ピアノの部屋が使えそうにないっす、、。
なのでまたしてもダラダラと思い出し日記でも。




1997年の秋にテネシー→シアトル→ロスアンゼルス→またテネシー、と米国内をふらふらしていた私は、最終的にサウスカロライナの州都、コロンビアという町に着きました。そこのサウスカロライナ大学の音楽学部に通うためです。



それから1年間は私の短い半生で一番「人間嫌い」になった期間でした。
原因は前の思ヒ出日記参照。
んま~、もともと少し人間嫌いなところがあったんだけどさ。

とにかく日本人だろうがアメリカ人だろうが、どこから来ようが友達を作ろうとしませんでした。

のちに、サウスカロライナを去る直前に、とある日本人としゃべったことがありましたが、彼は私と大学キャンパス内で何度かすれ違っていたらしいのですが(二人とも日本人なので目立つのです)、「いつも目が吊り上がっていて、恐くて声をかけられなかった」そうです。


そんなこんなで、全く人と話すこともなく、1年過ごしてみました。
ただそのかわり、とにかく音楽と授業に打ち込んでいたかとおもいます。

とりあえず学校の授業に出て、レポート書いて、あとピアノの練習は1日3時間ぐらい、ギターは4時間ぐらい、そうなると寝る時間がなくなって、毎日2、3時間ぐらいしか寝てなかったと思います。あ、週末は4、5時間ぐらい寝てたかな。



そういえば私の部屋には、パソコンもテレビもありませんでした。んま~、あんまり興味もなかったので。今にして思えば、テレビぐらい買っとけば良かった、、。




そしてカレンダーがありませんでした。

やがて冬休み、、、。
学生のほとんどは実家に帰ります。キャンパス内のアパートに住んでた私は、2、3週間ほど、人と話すどころか、人を「発見」することがありませんでした。


で、人がいない、テレビ、パソコンなどの「外からの情報」が無くなると、人はどうなるか、、。


1週間ほどで「日付」がわからなくなりました。


余談ですが、海上自衛隊で潜水艦で何週間か過ごす人達は、ある曜日だけ「カレー」を食べるそうです。そうやって「今日は何曜日だ」と忘れないようにするそうです。


で、日付が分からなくなった冬休み、私はロンドンに旅行に行くことに決めてました。
が、、。
日付が分からなくなってしまった、、。出発の日もわからなくなっていました。
さて、どうするか、、。人のいそうな町まで行って、通行人に「今日って何日ですか?」と聞こうとも思いましたが、、、。う~ん、あやしすぎる。



で、結局、お金をわざとおろすため、ATMに行きました。残高照会をすれば日付が書いてあるからね。

で、ロンドンには無事に行けたわけですが、、。






さっきの潜水艦の話をすると、、。
潜水艦とかの乗組員は、「幻覚」を見ることがしばしばあるそうです。
何週間も、他人と接触せず、限られた空間で、外部からの情報が遮断されてると、そうなるそうです。
他にも独房に入れられた囚人なんかも幻覚に襲われるそうです。


で、私にも同じコトが起こりました。
ガラスに人の顔が映って、ずっとこっちを睨んでました。


んで、とある日、いつものようにヘッドフォンをかぶって、ギターを弾いていた時のこと、、。

電話が鳴りました。
あわてて、ヘッドフォンを外して電話をとりにいきましたが、、。

電話は鳴っていませんでした。
おかしいな、と思いつつ、またヘッドフォンをかぶってギターを弾くと、また電話がなりました、、。
でも、ヘッドフォンを外すと電話は鳴っていない、、。

これの繰り返し。

面倒になったので、電話の音を無視して、ギターを引き続けました。
だんだん電話の音が大きくなっていきました。


っていうか、、最後は、

ギターをジャーンと弾くと電話のベル音が耳に聞こえてきました。


「あ~、こ~いうのを『幻聴』というのか」
と初めて思いました。



結論から言うと、この幻覚とやらも、それ以後私に降り掛かる様々な病気の症状の一つに過ぎませんでした。
全部書いてたらキリないっす。


結局、97年の夏頃、サウスカロライナのとある病院の精神科医
「日本に帰って治療しなさい」
と言われたのでした。

その精神科医の一言が。私のサウスカロライナでの最後の記憶。





この後、その医者にもらった一時的な精神安定剤とやらを持ってロサンゼルスへ。


その二ヶ月後に、ようやく東京へ帰って、本格的に病院に通い始めました。




当時は「これでようやくやっかいな病気に終止符を打てる」と思ってたんどすが、、、。



思えば、あの時、長い長い「病気の世界」が始まったのね、、。