「考える」を放棄しない

「いいから動け」とたまに耳にしますが

私は反対の考え方です

ちょっとは考えて動いて欲しいものです

「考える」は人間だけに与えられた特殊な力です
「行動する」だけなら
猿でも
蟻でも
ロボットでもできます

いえ
AIやロボットが進化すれば
「行動しかしない人間」はいずれ淘汰されるかもしれません(←まー、この考え方も安直ですが)




以下の記事を拝読して考えてみました




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花を飾ってくださるのなら
尾山奈々著
保坂展人


1984年12月3日 尾山奈々さん自殺

学校なんて大きらい みんなで命を削るから
先生はもっときらい 弱った心を踏みつけるから


残された遺書Iより

 ところで、私がしたことについて、「どんなことがあってもそうしてはいけない」「それは現実から逃避している。つらいことがあっても逃げてはいけない」といった意見がでると思いますが、それはきっとそうなのでしょう。そういった人達は幸せです。希望ももっていることでしょう。そのような人が私はうらやましい。しかし、私もいつかはそうだったのです。そのような考え方の人は私のような不幸な考え方にならないで下さい。

 しかし、私の最後のお願いですが、直接の原因だけを勝手に推測して、自分の考え方のみで「たいしたことないのに」と判断を下すのだけはやめて下さい。感じ方、考え方は人によって違うのです。私はたとえようがない程、苦しく、悲しかったのです。

松川中学校 3年C組 34番 尾山奈々より。


残された遺書IIより

 私が生死を安易に考えていると思うかもしれませんが、惰性で生きているのはいやなのです。人が考える不幸は、私にとって幸福に思えたのです。毎日が冷たく悲しかった。
 もうすぐ苦しみから解放されるということだけが楽しみでした。

 原因はそうだと思われる場所でさがして下さい。推測による原因は、すべてではありません。しかし、限られた言葉では真意を書き表せません。直接的なものは、きっかけでしかありません。


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「尾山奈々さんの遺書」は私が中学生の時から
頭から離れませんでした
同じ中学生だったこともあってね


「とにかく行動」も
まぁ、一理ありますが
「考えることから逃げる」ための言い訳にしたくないものです。



あ、まー両方バランスよくね!