思ヒ出日記1:95年春先

という訳で、私の思い出を綴っていきますが、あまり明るい話題が少ないので、暗い気分になりたくない人は読まないよ~に!(笑

95年の春先、私の留学準備もちゃくちゃくと進み、あと数ヶ月で日本を出ることになっていました。
とある朝、私は家の居間に座ってました。父が横でなにやら読み物をしていました。

父が突然「あーもう読めん!」と声をあげました。
「晶、これを私の代わりに読んでくれ」と一枚の領収書のようなものを出しました。
私は父親に領収書の内容を読んであげたあと「目が悪くなったの?」と聞きました。
「文字は見える、、その文字が何て書いてあるのかがわからない、、、」
私はそれを聞いて愕然としました。突然父親が言語を理解できなくなってしまっていたのでした。
私は自分の部屋に戻っていろいろなことを考えてました「年のせいで脳にきてしまったのか、、、」「今日からずっと介護とかが必要になるのか、、、」留学のことなどすっかり忘れて、父親も含めて家族の将来のことについて不安でいっぱいになりました。

父親と私は車で、近くの町医者に行きました。町医者は父の症状の話を聞くと
「今すぐ紹介状を書きますので、すぐに大きな病院で精密検査を受けてください」といいました。
私たちはその足で町で一番大きい病院に行きました。
私は心配だったので父と一緒に診察室まで入って行きました。診察後、すぐに車いすが診察室に運び込まれ、父はそこに座らせれて、2、3人の看護士に囲まれて、
「今から、絶対に立ったり歩いたりしないで!」と厳しく言われてました。
父は車いすのままCTスキャン&その他の検査を受けました。
私は検査室の外で検査結果を待っていました。30分ほどして、お医者さんが走って私の所にやってきました。
「左脳の脳溢血です。今すぐ入院の手続きをしてください」

あまりに突然過ぎる話だったので、私は目の前が真っ暗になりました。
気を取り直して、すぐに今後どうすればいいか考えました。
とりあえず、父を病室まで連れて行くので、父の車いすを押していました。びっくりしたのが、父の乗った車いすが余りに軽かったことです。とても自分の父親が小さく見えました。
「俺の親父はいつのまにこんなに軽くて小さくなってしまったんだ、、、」と思ってたら、いつのまにか目にこみ上げてくるものがありました。ちょうど父からは私の目が見えない位置だったので、気づかれずにすみましたが。
父は私といる間
「家の仕事のことは、母さん達と相談して手分けしてやってくれ、できない所はやらなくていい。後、おまえの留学のことは何も心配しなくていい」
この状況でも家族のことを心配している父親でした。

あとでお医者さんに聞いた話では、父の脳の中で、いわゆる言語を処理する部分の血管が破れたそうです。それから父は新聞・本などあらゆる文字が読めなくなってしまいました。ちなみに血管の破れた位置がもう少し脳の中心に近かったら命を落としていたそうです。これから父は退院後も数年間に渡って、小学生向けの国語のドリルなどを使って、文字が読めるようになるためのリハビリをすることになります。

これが、私の父親を襲った「最初の」大病です。
私にとっては、私を更なる深刻な事態へと追い込む留学の数ヶ月前の出来事でした。