遠いアメリカ

アメリ

人種差別、隔離される外国人学生、その中で仲間の心はどんどん荒んで行った

言い争う人、ノイローゼで帰国する人、自ら死を選んだ人、婦女暴行、婦女暴行未遂で裁判、ドラッグを吸いまくりながらテストで好成績を出す人、2年間で今覚えてるだけで、そんな人たちの中にいた。


私は
元々の人間嫌いに拍車がかかった。
人と交流するより、学生寮を出て一人でアパートでひたすら音楽をしていた。

「とにかく努力すれば報われる」
そう信じて疑わなかった。

気がつけば、学校の授業の後にピアノ3時間、ギター5時間、あとは音楽理論と、音響学の教科書を読み漁って、レポートを書きまくり。
睡眠時間は毎日2時間(土日は3~4時間)。
土日、祝日、休暇期間は格好の練習日だった。
夜中の0時に大学の図書館が閉まり、そのあとの帰り道で「今日はシャワーを省略すれば、スケール練習ができるな、、、」毎晩そんなことを考えて。三回の食事の間は必ず、西洋音楽史の教科書を読みながら。夜は寝落ちするまで、同じ本を読む。


おかげさんで、西洋音楽史のテストは最初の半年でクラスで1位だった。
下半期の成績表を見たら、オールAで、音楽学部長が目を通す成績優秀者リストに名前が載った。

翌年には内申点が上位の者だけが加入できる、名誉生徒の会からの入会の誘いの手紙をもらった。
とっくの昔に人間不信に陥ってた私は、それをビリビリに破いてゴミ箱に放り込んだ。

後で知った話だが、留学生は年に5コマ以上の授業を取ることは禁止されてたらしい。過去に6コマとって、やはり心や体を壊してしまった人がいたからだそうだ。私は同年7コマとって、1コマ単位を落とした。


そして、それと引き換えに私が得たものは。

20年以上にわたるうつ病パニック障害。本(文字)を長時間読むと、文の意味がわからなくなる身体表現性ストレス障害と。ギターとピアノを弾こうとすると左手の指に力が入らなくなる局所性ジストニア(いわゆるイップス


特に20年前の努力と功績を誇るつもりもない。努力自慢も不幸自慢もこれを書いて卒業したいな。
だからこれを書いて見て少しスッキリした。



20年経って、記憶が蘇ってきて、記憶の整理がついてきたので。とりあえず覚書として、ブログに書いておく。